城井兼光

城井兼光(きいかねみつ)  


名物 城井兼光(松井兼光
福岡市博物館所蔵

  • 享保名物帳で「松井兼光」と記載されるのがこの刀である

    松井兼光 長二尺二寸三分半 無銘 無代 松平筑前守殿
    黒田長政卿城井にて御手討被成大切れなり、総て昔より大切物と申伝ふ

由来  

  • 「松井兼光」の由来は不明。
  • 天正16年(1588年)4月、黒田長政は城井鎮房(宇都宮鎮房)を中津城に招き、酒宴の席で謀殺する。また城下合元寺に留め置かれた家臣団も同じく黒田勢との斬り合いの末、全員が討ち取られた。
  • この時に使われたのが兼光で、以降黒田家では「城井兼光」と呼んだという。
  • 中津城下の合元寺(ごうがんじ)に控えていた城井家臣の家老・渡辺右京進らは、鎮房暗殺時にことごとく討死した。合元寺の門前の白壁には血痕が残り、何度塗り替えても血痕が浮き出るためついに赤壁に塗り替えたといわれる。合元寺は別名「赤壁寺」と呼ばれ、現在でも合元寺の門前の壁は赤色に塗られている。

来歴  

  • 黒田長政はこの兼光を三男で初代秋月藩主の長興へ与えたが、その子長重が3代福岡藩主黒田光之へ返還している。
  • 現在は福岡県立博物館で所蔵。「大切物」という名は伝わっていない。