埋忠明寿(刀工)

埋忠明寿(うめただみょうじゅ)  

桃山~江戸初期の刀工、金工
新刀最上作
入道号明寿
鶴峰明寿

生涯  

  • 永禄元年、埋忠彦左衛門重隆の次男として生まれる。
    三条宗近25代の孫ともいう。
  • 初名重吉、のち彦次郎。

足利将軍近習  

  • 元亀元年(1570年)13歳の時に足利義昭に近習として仕える。
  • 元亀4年(1573年)信長と不和になった義昭が久世郡槇島城に篭ると、父や兄とともにそれに従い入城する。将来は愛宕山の長床坊を継ぐ予定であったが、兄が病没したため埋忠家を相続した。
  • 義昭にそれを言上すると、黄金造りの陣刀を餞別として賜る。夜中、父とともに樋口の水門から抜け出し京都に帰った。

本能寺の変後  

  • 本能寺の変の後、秀吉から知行を与えられ、秀次や黒田、鍋島、吉川、藤堂など諸大名の御用や本阿弥家からの金工注文を請けるなど刀剣界の元締めのような存在となる。
  • 金工(装剣具)において不動の地位を占めるが、鍛刀の製作においても新刀以降の鍛刀法である水挫(みずへ)し法を創始し、新刀の祖と仰がれる
  • 金工として吉長、宗長などを排出した。
  • 刀工としては、初代肥前忠吉、忠広などの優れた弟子を育成した。
  • 晩年入道して「鶴峰(かくほう)明寿」と号す。
  • 桃山時代から江戸初期にかけて京の西陣に住した。
  • 家督は弟の家隆に譲り、家隆が江戸に召されたが明寿は京都に残る。
  • 寛永8年(1631年)5月18日没した。74歳



刀工:埋忠明寿  

  • 元来が足利将軍家に仕える金工師であったためか、作刀数はごく少ない。
  • 彫りの上手であり、ほとんどのものが長銘を入れている。
太刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿(花押)/慶長三年八月日他江不可渡之」昭和12年(1937年)5月25日重要文化財指定。京都国立博物館所蔵。明寿
京博では、明寿作のうち現存する長刀ではこの作だけを真作ではないかとしている。
短刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿/慶長拾七年八月日」長八寸九分、反り一分。表切刃造、裏平造。真棟。表に棒樋、うちに梵字と素剣。裏に梵字と護摩箸。鋩子尖り心の小丸返る。昭和18年足立康継氏蔵。
脇差
銘「山城國西陣住人埋忠明寿作六十一歳/元和四年五月十一日」昭和8年7月25日重要美術品指定。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。山内豊景侯爵所持。現個人蔵。
短刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿/慶長拾二年三月吉日」刃長八寸二分五厘、反りわずか。昭和8年(1933年)7月25日重要美術品指定、加藤正治氏所持。
短刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿/慶長拾三年三月吉日/所持熊谷清六」長八寸四分、反り一分三厘。表切刃造、裏平造。真棟、表裏に彫り物。重要美術品。昭和18年足立康継氏蔵。
短刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿/慶長十三年三月日/所持埋忠彦八郎重代」長九寸三分、反りわずか。昇り龍、降り龍の彫物。昭和8年7月25日重要美術品指定三矢周夫氏所持。昭和27年(1952年)3月29日重要文化財指定。個人蔵。
短刀
銘「山城國西陣住人埋忠明寿 慶長十三年八月吉日 所持新蔵重代」蝶八寸四分。表切刃造り、裏平造り。表額のうち梵字、不動の浮き彫り。裏は玉追竜を彫る。うぶなかご。柄白鮫着せ鞘は梨子地。紫糸下げ緒。小柄目貫には横谷宗眠作色絵虎の彫刻。昭和8年7月25日重要美術品指定。昭和27年(1952年)3月29日重要文化財指定。古河従純男爵所持(古河虎之助男爵旧蔵)。現個人蔵。
短刀
銘「山城国西陣住人埋忠明寿/慶長十七年八月日」昭和9年12月20日重要美術品指定、橋本寅吉所持。
短刀
銘「山城國西陣住人埋忠明寿/元和四年八月日 馬場久兵衛所持之」長九寸一分七厘、反り八厘。平造、真棟、表に草の倶利伽羅龍、裏に梵字と蓮台。鋩子火炎風の小丸返し。昭和18年中迫恂逸氏蔵。
銘「埋忠明寿七十四才時(花押)寛永八年三月廿四日身ニ稲荷大明神、茎ニ天照皇大神、春日大明神、八幡大菩薩、山王七社権現の名號アリ」昭和16年4月9日重要美術品指定。黒田長禮侯爵所持。
銘「城州埋忠作文禄二年十二月日」昭和12年12月24日重要美術品指定。上杉憲章伯爵所持。
銘「埋忠明寿」長69.5㎝、反り1.6cm。目釘孔2個。北海道坂本龍馬記念館所蔵
銘「山城国西陳住埋忠明寿作」目釘孔1個。坂本龍馬が佩用した後、海援隊の菅野覚兵衛に贈ったという。詳細は「坂本龍馬」の項参照。京都国立博物館所蔵


系譜  

  • 宗之のころに埋忠を梅忠と改める。
  • 東山美平
    • 京都東山に住し、「東山住美平」、「平安城住美平作」などの銘を切る。「粟田口住美平」「宗雪」、「大江孝満作」なども。「大江慶隆」

関連項目