千代金丸

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千代金丸(ちよがねまる)  

金装宝剣拵
刀身無銘(号 千代金丸)
刃長71.3cm
国宝
那覇市歴史博物館所蔵

なお国宝指定は本刀単独ではない。従来本刀を含む「琉球王尚家伝来品」85点が重要文化財に指定されていたが、それに加えて「附 王装束及衣裳関係文書」12冊、さらに未指定の「琉球国王尚家関係文書」1,154点が追加され、計1,251点が「琉球国王尚家関係資料」として、2006年に国宝に指定されたものである。

  • 琉球国王家の尚家に伝来した刀剣。

伝来  

  • 琉球の歴史書「球陽」によれば1416年に中山王との戦いに負けた山北王がこの刀で自害したとされる。

    その頃本土の商船鉄塊を載せて与那原に来り貿易をなす。即ち巴志帯ぶる所の剣を見て瀕りに之を求めんことを欲し、遂に満載せし鉄塊を以て之を購う。巴志多くの鉄を得、兵器を造らず、悉く農民に分与して耕具を造らしむ、百姓感激せざるものなく、為に産業俄に興り民力充実するに至る。云々

  • また「千代金丸宝刀ノ由来」によれば、尚巴志(しょうはし)により攻め滅ぼされた北山王攀安知(はんあんち)の所持した宝刀であった。
    尚巴志(しょうはし)は琉球王国第一尚氏の2代国王。北山王国および南山王国を滅ぼし、三山を統一し琉球王国最初の統一王朝を成立させた。
  • 臣下の本部平原の裏切りもあって城を守りきれなかったことに怒り、守護の霊石を切りつけ、更にこの刀で自害しようとしたが、主の命を守る霊力が込められた刀であり死にきれず、重間(志慶間(しじま))川に投げ捨ててから命を絶った。これを伊平屋(いへや)の住人が拾い上げて中山王に献上したという。
  • 昭和4年(1929年)3月の日本名宝展覧会では尚裕侯爵所持。
  • 平成14年(2002年)に重要文化財に指定。その後、平成18年(2006年)には千代金丸を含む琉球国王尚家に伝来した三振りの宝剣を含む計1,251点の文化財が国宝に指定された。(「琉球国王尚家関係資料」)

伝承  

  • 中山世鑑

    去る程に山北王某を招いてニの丸へ引下り神代より城守護のイベとて崇め奉りし盤石あり其の前にて宣いけるは、今はイベも神も諸共に冥土の旅に赴かんとて腹搔き切り、反す太刀にて盤石イベを切り破り後様へ五町余りの重間河へぞ投げ入れ給う。

  • 琉球国由来記

    去る程に山北王、今は是までぞ。今一度、最後の会戦して、心よく自害をもせんとて、赤地の錦の直垂に、火威の鎧を着、龍頭の甲の緒をしめ、千代金丸とて、重代相伝の太刀をはき、三尺五寸の小長刀を腋(ワキ)に挟み、花やかに鎧ふたる、兄弟一族、只十七騎、三千余騎の真中に懸入り、面も振ず、火を散してぞ、もみ合ける。

    去程に、山北王、其の兵を招て、サノミ罪を作りても、何かせん、人手に懸んと、末代の耻辱ぞ
    かしとて、二の丸へ引上り、神代より、城守護の、イベとて、崇奉りし、盤石あり。其の前にして、宣けるは、今は、イベも、神も諸共に、冥途の旅に赴んとて、腹掻切て、反す太刀にて、盤石のイベを切り破り、後様へ、五町余りの、重間河(志慶真川のこと)へぞ、投入給。七騎の者も、思々に自害して、主の尸を、枕にしてぞ、臥せたりける。

  • 片手打ちの柄など、日本刀の形式とは異なる独特な造りである。
  • 鞘は金版で覆われ、琉球で製作されたと思われる柄頭は菊文と「大世」の2文字が彫られている。
    「大世」は、尚泰久王の神号「大世主(おおよのぬし)」と思われる。




異説  

  • 千代金丸、治金丸北谷菜切の三刀は古来沖縄に伝わる名刀として名高いが、このうち千代金丸と治金丸については伝承に混乱があると指摘されている。

重金丸(じゅうきんまる)  

  • 千代金丸は別名「重金丸」とも呼ばれる。
    • 山北王舶尼芝が日本から入手したものという。応永(1394)年間に尚巴志と戦って敗れ、護剣渓に投げ込んだ。
    • 文明(1469)ごろに親泊村の川から夜な夜な白気が立ち昇るため恵平屋島の男が川底を探ったところ太刀一振りを発見したという。
    • 尚真王に献上したところ、山北王愛蔵の重金丸に相違ないということになった。
      「千代」が琉球方言訛りで「チュ」となり、それに「重」の字があてられたともいう。つまり「重金丸」は「千代金丸」ということになる。

手金丸(てがねまる)  

  • 千代金丸の鍔には「てかねまる」と刻まれている。
  • また沖縄歌謡「おもろさうし」に「つくしじゃら」という部がある。

    一 きこゑきみがなし(聞こえ君加那志)
      とよむきみがなし(鳴響む君加那志)
      これどだにの まてだやれ(これぞ本当の真テダだ)
    又 きこへあんじおそいや(聞こえ按司襲い[王]は)
      とよむあぢおそいや(鳴響む按司襲い[王]は)
    又 つくしぢやら はきよわちへ(筑紫だら[長脇差し]を佩きたまいて)
      てがねまる さしよわちへ(手金丸を差したまいて)
    又 たまあしぢや ふみよわちへ(玉の足駄を履きたまいて)

  • この「つくしぢやら」の異名が手金丸であり、「ぢやら」は長脇差を示しているという。

    「つくしぢやら」に付けられた原注に「てがねまる御腰物異名也」とある。十七の六三にも「宝剣手金丸の異名なり」とある。(略)「つくしぢやら」の「ぢやら」は、長い脇差を意味する「だら」から出たもので、つくしのしのイ母音によって「だら」の「だ」が影響(口蓋化)されて「ぢゃ」(=ジャ)になったものである。
    『おもろさうし』にあらわれた異国と異域 - 池宮正治

  • つまり、この「おもろさうし」に従えば、現在「千代金丸」と呼ばれている刃長71.3cmの刀こそ「てがねまる」であり、現在「治金丸」と呼ばれている刃長53.8cmの刀が元来の千代金丸であったのだが、長い年月の間に入れ替わってしまった可能性があるという。
  • これが事実であれば、現在「千代金丸」と呼ばれている刃長71.3cmの刀は筑紫の刀工が作刀した長脇差ということになるが、詳細は不明。




  • 「千代金丸」、「治金丸」、「北谷菜切」の三刀は古来沖縄に伝わる名刀として名高い。