利休七種

利休七種(りきゅうしちしゅ)  

楽焼の初代長次郎作の茶碗のうち、千利休が名作と見立てたと伝えられる七種の茶碗

  • 「長次郎七種」とも。
  • 黒楽茶碗3種、赤楽茶碗4種から構成されている。

一覧  

  1. 【大黒(おおぐろ)】:黒楽茶碗 [現存] 重要文化財
  2. 【鉢開(はちびらき)】:黒楽茶碗
  3. 【東陽坊(とうようぼう)】:黒楽茶碗 [現存] 重要文化財
  4. 【臨済(りんざい)】:赤楽茶碗
  5. 【木守(きまもり)】:赤楽茶碗
  6. 【早船(はやふね)】:赤楽茶碗 [現存]
  7. 【検校(けんぎょう)】:赤楽茶碗

これらを「長次郎内七種」と呼び、これらとは別に選定された茶碗を「長次郎外七種」と呼ぶ場合もある。長次郎外七種は、黒楽茶碗の「雁取」、「小黒」、「閑居」、赤楽茶碗の「一文字」、「太郎坊」、「横雲」、「聖」を指す。

Table of Contents

大黒(おおぐろ)  

楽焼黒茶碗
銘 大黒
長次郎作
重要文化財
個人蔵

由来  

  • 色が黒く極上々の出来であり、福福しい趣きがあるためという。

来歴  

  • 鴻池善右衛門所持


鉢開(はちびらき)  

楽焼黒茶碗
銘 鉢開
長次郎作

由来  

  • 鉢が開きすぎた形から。
  • 利休が、出家したならばこの茶碗を持って托鉢なされよといったという。

来歴  

  • 細川三斎所持。
  • のち大徳寺の高桐院にあったが、その後行方不明。
    高桐院は、慶長7年(1602年)に細川忠興が父細川幽斎のために建立した塔頭寺院。開基は細川忠興、開山は玉甫紹琮。玉甫紹琮は幽斎の弟。のち忠興が正保2年(1645年)に没すると、遺言により遺歯が高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護された。


東陽坊(とうようぼう)  

楽焼黒茶碗
銘 東陽坊
長次郎作
重要文化財
個人蔵

由来  

  • 東陽坊長盛所持にちなむ。
  • 東陽坊長盛は安土桃山時代の天台宗真如堂の僧侶、茶人。茶を千利休に学ぶ。真如堂は真正極楽寺(京都市左京区浄土寺真如町82)の通称。
  • 建仁寺本坊にある茶室東陽坊は、秀吉の北野大茶湯の際に長盛が立てた茶室を移築したもの。慶長3年4月4日没。

来歴  

  • 中井主水。
  • 武田叔安。
    江戸中期の医師。本姓黒川。武田杏仙の家督を継ぎ、幕府の医師となり法印へと進む。武田杏仙法印。安永2年(1773年)12月没。
  • 元禄10年(1697年)に金十五枚で鴻池道億が買い取る。武田叔安から道億への譲り状が附く。
  • 道億は豪商鴻池家の一族。山中道億とも。鴻池秀重と木村治郎右衛門の娘の間に生まれた。名は善三郎。号に光漸、凡斎など。晩年出家し、万峯道億居士を称した。この「東陽坊」のほか、利休七種の「大黒」、「本能寺文琳」(五島美術館所蔵)など多くの茶器を所有し、目録は「鴻池家道具帳」として知られる。


臨済(りんざい)  

楽焼赤茶碗
銘 臨済
長次郎作

  • 実は有楽焼だという。

由来  

  • 焼き破れが5ヶ所あり、これを臨済宗五山派(京都五山)に喩えて臨済と名付けたという。

来歴  

  • 利休所持。
  • 織田監物所持。


木守(きまもり・きもり)  

楽焼赤茶碗
銘 木守
長次郎作

由来  

  • ある時利休が茶碗7碗を出し、好み次第に遣わそうといったが、この茶碗ひとつだけが残ったためという。
    あるいは、最後まで残したとも、柿に似ているからともいう。
  • 木守とは「木守柿(木守柿)」のことで、来年の実りを念じて晩秋柿の木にひとつだけ残す実のこと。俳句で冬の季語にもなっている。

来歴  

  • 武者小路千家の2代少庵宗淳(千少庵)、4代一翁宗守(千宗守)と伝わる。
  • 6代真伯宗守から高松藩主松平讃岐守(水戸御連枝)に献上する。
  • 松平頼寿伯爵所持の時に関東大震災で罹災するが、樂吉左衛門13代惺入が写しなどを参考に修復する。


早船(はやふね)  

楽焼赤茶碗
銘 早船
長次郎作
畠山記念館所蔵

由来  

  • 利休が大坂で開く茶会のために、早舟で京都からこの茶碗を取り寄せたことに由来するという。

来歴  

  • 桔梗屋又右衛門(文左衛門)が八貫目で買い入れる。
  • のち京都の大文字屋宗夕所持。
    あるいは京都葭屋町一条上ル大善院ともいう。
  • 金沢の亀田是庵。
  • 藤田財閥創始者の藤田伝八郎。
  • 荏原製作所の創立者畠山一清が購入し、現在は畠山記念館所蔵。
  • 利休七種の赤楽茶碗では、唯一現存する。


検校(けんぎょう)  

楽焼赤茶碗
銘 検校
長次郎作

由来  

  • ある時利休がこの茶碗を弟子に出した所、反応が良くなかったために、利休がこの茶碗の良さがわからぬのならば検校であるといったという。
  • あるいは、この茶碗が樂長次郎の元に残されていたためともいう。

来歴  

  • 薩摩屋素伯
  • 井筒屋重右衛門