兵庫守家

兵庫守家(ひょうごもりいえ)  

太刀
銘 備前国長船住守家
名物 兵庫守家
二尺三寸九分
重要文化財
徳川美術館所蔵

  • 刃長二尺三寸九分。中心磨上、目釘孔2個、佩表に「備前国長船住守家」と切る。

由来  

  • 丸茂兵庫頭光兼(長照とも)所持にちなむ。

来歴  

  • 丸茂兵庫頭光兼は、はじめ美濃の斉藤龍興に仕える。
  • のち信長、秀吉へ仕え、天正17年(1589年)美濃安八郡福束城2万石を与えられる。
  • その子三郎兵衛兼利は、慶長5年(1600年)の関ヶ原で西軍に属したため8月17日に城を捨てて逃亡。高野山に逃れ入道道和と号した。
  • のち加賀前田利常に拾われ、二千石を与えられる。正保4年没。
  • 本刀は将軍家に没収され、のち家康の遺産として尾張徳川家初代の義直に伝わる。
  • 尾張藩の記録では「高野より上る」とあり、高野山隠遁中に手放したとみられる。


丸茂兵庫頭光兼  

  • 兵庫頭、河内守、長照とも
  • 元は美濃国多芸郡の土豪で、織田信長軍とも戦っている。
  • のち信長に従い、山城・真木島(槇嶋)城攻め、越前朝倉攻めなどに参加。
  • 本能寺の変後は豊臣秀吉に従属し、美濃直江城主、大塚城主、美濃安八郡福束城主と移っている。
  • 丸茂兵庫頭の子、親吉は関ヶ原の戦いで石田三成に味方し、敗戦後高野山に身を隠す。のち加賀に走り、名を丸毛道甫と改め前田利常に仕えた。