佐竹本三十六歌仙絵

佐竹本三十六歌仙絵巻(さたけぼんさんじゅうろっかせんえまき)  

絵巻物
佐竹本
佐竹本三十六歌仙

概要  

  • 藤原公任による私撰集「三十六人撰」に選ばれた歌人36名は、「三十六歌仙」と称されるようになる。
  • 三十六歌仙」を描いたものは歌仙絵と呼ばれるが、この佐竹本三十六歌仙絵(佐竹本)は、その中でも特に優れたものとして古来名高い。
  • 本絵巻は三十六歌仙の肖像画にその代表歌と略歴を添え、巻物形式としたものである。上巻・下巻ともに18名の歌人を収録する。
上巻
(不明)、人麿、躬恒、家持、業平、素性、猿丸、兼輔、敦忠、公忠、斎宮、宗于、敏行、清正、興風、是則、小大君、能宣、兼盛
下巻
(住吉明神)、貫之、伊勢、赤人、遍照、友則、小町、朝忠、高光、忠岑、頼基、重之、信明、順、元輔、元真、仲文、忠見、中務
  • 下巻巻頭には和歌の神とされる住吉明神(住吉大社)の景観が描かれた図があり、上巻巻頭にも、現在は失われているが、玉津姫明神または下鴨神社の景観図があったものと推定されている。

製作  

  • もとは巻子装で上下2巻として製作された。
  • 製作年代は12世紀で、絵の筆者については藤原信実、文字は後京極摂政と呼ばれた九条良経と伝承される。
  • 画面には歌人の姿のみを描き、背景や調度品等は一切描かないのが原則であるが、中でも身分の高い斎宮女御徽子は繧繝縁(うんげんべり)の上畳(あげだたみ)に座し、背後に屏風、手前に几帳を置いて格の高さを表している。
  • 「佐竹本三十六歌仙絵巻」は、「上畳本三十六歌仙絵巻」と並んで三十六歌仙図のうちでも最古の遺品であり、鎌倉時代の大和絵系肖像画を代表する作品と評されている。

由来  

  • 「佐竹本」と呼ばれる由来は、旧出羽久保田藩主・佐竹侯爵家に伝来したためである。

伝来  

  • もとは下鴨神社に伝来したものといい、その後旧出羽久保田藩主・佐竹侯爵家に伝来した。

大正売立  

  • 1917年(大正6年)、東京両国の東京美術倶楽部で佐竹家の所蔵品の売立てが行われ、三十六歌仙絵巻は東京と関西の古美術業者9店が合同で35万3千円で落札した。
    当時の1万円は21世紀初頭現在の価値で諸説あるが約1億円とされ、総額36億円ほどということになる。そのため、一社で落札しうる業者が存在せず、やむなく共同落札という形なったという。

    十一月二日特別下見、三日四日普通下見、五日入開札を両国美術倶楽部に挙行する都合と為ったが、此入札会に於て無論レコード破りを出すべき名品は信実筆三十六歌仙、後京極良経詞書の絵巻物二巻で(中略)
    而して彼の信実三十六歌仙巻物は最初四十萬圓の止値を入れ置きたいと云ふ希望であったが、歌仙の一人は狩野探幽の補足であるから、信実筆は三十五人として一人一萬圓即ち三十五萬圓が至当の値頃ならんとて止値を矢張其通りにした是れより先き益田男は三井家を説いて同倶楽部の備品と為さしめんとしたが、其承認を得る能はなかったので札元全部総合して之を三十五萬三千圓にて落札し(略)

    信実筆三十六歌仙巻 金三十五萬三千圓 札元一同

山本唯三郎  

  • その後この絵巻を購入したのは、山本唯三郎である。

    余(高橋義雄)は益田男と共に札元連中を説得し兎に角三十五萬三千圓で引受けさせたが、其の後京都の服部七兵衛老が周旋して当時船成金の一人虎大盡山本唯三郎氏に譲渡す事と為った

  • 山本は松昌洋行という貿易商社を起こし、中国で材木の輸出、石炭の輸入などの事業を行い、後に海運業で財を成した人物である。朝鮮半島へ虎狩りに行ったことから「虎大尽」の異名を取り、数々の武勇談や奇行に満ちた人物であった。

絵巻分割  

  • しかし第一次大戦の終了により経済状況は悪化し、山本は1919年(大正8年)には売りに出すことを検討する。

    然るに大正八年に至り船成金が大打撃を蒙り、山本氏も御多分に漏れず再び之を処分せざる可らざる場合に立至った

  • ところが、時節柄、高価な絵巻を1人で買い取れる収集家はどこにもいなかった。この絵巻の買い取り先を探していた服部七兵衛、土橋嘉兵衛らの古美術商は、当時、茶人・美術品コレクターとして高名だった、実業家益田孝(号:鈍翁)のところへ相談に行った。
  • 大コレクターとして知られた益田もさすがにこの絵巻を一人で買い取ることはできず、彼の決断で、絵巻を歌仙一人ごとに分割して譲渡することとなった。

くじ引き  

  • 益田は実業家で茶人の高橋義雄(号:箒庵)、同じく実業家で茶人の野崎廣太(号:幻庵)を世話人とし、絵巻物の複製などで名高い美術研究家の田中親美を相談役として、三十六歌仙絵巻を37枚(下巻冒頭の住吉明神図を含む)に分割し、くじ引きで希望者に譲渡することとした。

    一種独特の奇智ある京都の土橋嘉兵衛老が服部老と協議の結果、茲に分割処分案を立てて其の斡旋本部を益田孝男方に持込んだ、是に於て益田男は余(高橋義雄)と野崎廣太、田中親美、森川勘一郎諸氏を世話方とし、右歌仙絵を一枚づつに分割して、之れに夫れぞれの等差を立て、旧持主山本唯三郎氏に対しては記念として其中の一枚を寄贈し、又其分割に関する諸雑費を込めて各一枚の評価を定め、抽籤を以て之を希望者に頒つ事となったが(略)早速定員以上に達したれば、申込順に依って抽籤者を定め、益田孝男の品川御殿山碧雲台応挙館に於て其抽籤会を執行した

    処で茲に之を分断するに就ては、歌仙中に人気者と不人気者とがあり、完全なる者と汚損したる者とがあり、住吉明神の如く、唯住吉の景色と、其歌のみを書いたものがあり、貫之の如く、狩野探幽が其詞書を書添へた者があり、或は躬恒の如く、歌仙も詞書も、共に淡幽の補筆に係る者があり、其評価は至難中の至難であつたが、田中、森川等が厳密なる格付比較会議を開いて、三十六歌仙を横綱、三役、幕内、二段目、三段目と分類し、四万円を最高、三千円を最低として、其平準価格たる一万円以上が九枚と為り、夫れより以下は九千円、八千円と、千円づゝ下つて、三千円を最低価と定めたのである。

  • 1919年(大正8年)12月20日、会場となった益田の自邸「応挙館」に集ったのは、次のような錚々たるメンバーであった。
團琢磨
三井合名会社理事長。1932年血盟団事件で暗殺される。
原富太郎
号三渓。横浜の豪商原善三郎の孫の婿。富岡製糸場設立者。横浜本牧に三溪園を作り、全国の古建築の建物を移築した。
藤原銀次郎
富岡製糸場支配人から王子製紙初代社長。「製紙王」
住友吉左衛門
15代目住友友純。住友銀行創立者。
野村徳七 (二代)
大阪野村銀行(現りそな銀行)、野村證券の創立者。住友家茶臼山本邸(慶沢園)は現大阪市立美術館。
岩原謙三
号謙庵。芝浦製作所(現東芝)社長、NHK会長
高橋義雄
号箒庵。三井呉服店(三越)理事。著作に「大正名器鑑」、「東都茶会記」など。
馬越恭平
号化生。大日本麦酒社長。「日本のビール王」

落札者と現在の状態  

歌人落札者現所蔵指定
【上巻】
柿本人麿森川勘一郎
1万5千円
出光美術館1952年7月19日
重要文化財
ほのぼのとあかしの浦のあさぎりに島がくれゆく舟をしぞおもふ
凡河内躬恒横井庄太郎
(古美術商)
3千円
個人蔵未指定
いづくとも春のひかりはわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる
大伴家持岩原謙三
(芝浦製作所社長)
1万円
個人蔵1935年4月30日
重要文化財
さをしかの朝たつ小野の秋萩にたまと見るまでおける白露
在原業平馬越恭平
(大日本麦酒社長)
1万円
湯木美術館2000年6月27日
重要文化財
世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし
素性法師野崎廣太
(中外商業新報社長)
7千円
(所在不明)1936年5月6日
重要文化財
いま来むといひしばかりに長月の有明の月をまちいでつるかな
猿丸大夫船橋理三郎
(株屋)
1万2千円
個人蔵未指定
をちこちのたつきもしらぬやま中におぼつかなくも呼ぶ子鳥かな
藤原兼輔染谷寛治
(鐘淵紡績重役)
個人蔵1938年7月4日
重要文化財
人の親のこころはやみにあらねども子を思ふ道にまよいぬるかな
藤原敦忠團琢磨
(三井合名会社理事長)
個人蔵1935年4月30日
重要文化財
あひみてののちのこころにくらぶれば昔はものを思はざりけり
源公忠藤田彦三郎
(藤田組)
1万円
相国寺承天閣美術館
(萬野美術館旧蔵)
1936年5月6日
重要文化財
行きやらで山路くらしつほととぎすいまひとこゑの聞かまほしさに
斎宮女御益田孝
(三井物産社長)
4万円
個人蔵重要美術品
琴の音に峯の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ
源宗于山本唯三郎
(松昌洋行社長)
文化庁保管
(個人旧蔵・徳美寄託)
1954年3月20日
重要文化財
ときはなる松のみどりも春くればいまひとしほの色まさりけり
藤原敏行関戸守彦個人蔵1952年3月29日
重要文化財
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
藤原清正藤田徳次郎
(藤田組)
個人蔵未指定
子の日しにしめつる野辺のひめこ松引かでや千代のかげを待たまし
藤原興風大辻久一郎メナード美術館
(愛知法人旧蔵)
1936年5月6日
重要文化財
たれをかも知るひとにせむ高砂の松も昔の友ならなくに
坂上是則益田英作
益田孝の弟)
1万円
文化庁保管1935年4月30日
重要文化財
みよしのの山の白雪つもるらしふる里さむくなりまさりゆく
小大君原富太郎
(生糸貿易商)
2万50円
大和文華館
近鉄グループHD蔵
1927年5月6日
重要文化財
岩橋の夜の契りも絶えぬべし明くるわびしき葛城の神
大中臣能宣高橋彦次郎
(相場師)
サンリツ服部美術館1937年5月25日
重要文化財
千とせまでかぎれる松もけふよりはきみに引かれてよろつよや経む
平兼盛土橋嘉兵衛
(古美術商)
MOA美術館1935年4月30日
重要文化財
かぞふればわが身に積るとしつきを送りむかふと何いそぐらん
【下巻】
住吉明神津田信太郎東京国立博物館
松永安左エ門氏寄贈
1939年5月27日
重要文化財
紀貫之服部七兵衛
(古美術商)
耕三寺博物館耕
三寺蔵
1936年5月6日
重要文化財
さくらちる木の下風は寒からで空にしられぬ雪ぞ降りける
伊勢有賀長文
(三井合名理事)
1万5千円
個人蔵1935年4月30日
重要文化財
三輪の山いかに待ち見む年ふともたづぬる人もあらじと思へば
山部赤人藤原銀次郎
(王子製紙社長)
2万円
個人蔵未指定
わかの浦に潮みちくればかたをなみ葦辺をさしてたづ鳴きわたる
僧正遍照小倉常吉
(小倉石油社長)
5千円
出光美術館1937年5月25日
重要文化財
すゑの露もとのしづくや世の中のおくれ先だつためしなるらん
紀友則野村徳七
(野村財閥創始者)
1万円
野村美術館1941年7月3日
重要文化財
夕されば佐保のかはらの川霧に友まよはする千鳥なくなり
小野小町石井定七
(相場師)
個人蔵
東京国立博物館寄託)
1936年5月6日
重要文化財
いろ見えでうつろふものは世の中の人のこころのはなにぞありける
藤原朝忠小林寿一
5千円
(所在不明)1935年4月30日
重要文化財
逢ふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をもうらみざらまし
藤原高光児島嘉助
(古美術商)
逸翁美術館
阪急文化財団
1939年5月27日
重要文化財
かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくも澄める月かな
壬生忠岑
(忠峯)
西川荘三東京国立博物館
原操氏寄贈
1935年4月30日
重要文化財
春立つといふばかりにやみよしのの山もかすみてけさは見ゆらん
大中臣頼基益田信世
益田孝の子)
9千円
遠山記念館1936年5月6日
重要文化財
筑波山いとどしげきに紅葉して道みえぬまで落ちやしぬらん
源重之嶋徳蔵
(大阪株式取引所理事長)
個人蔵1936年5月6日
重要文化財
吉野山峯のしら雪いつ消えてけさは霞のたちかはるらん
源信明住友吉左衛門(15代)
(住友銀行創設者)
5千円
泉屋博古館1949年5月30日
重要文化財
こひしさは同じこころにあらずとも今宵の月をきみみざらめや
源順高橋義雄
(三越呉服店理事)
サントリー美術館1936年5月6日
重要文化財
水のおもに照る月なみをかぞふれば今宵ぞ秋のもなかなりける
清原元輔高松定一(3代)
(名古屋商工会議所会頭)
五島美術館1935年4月30日
重要文化財
秋の野の萩の錦をふるさとに鹿の音ながらうつしてしがな
藤原元真嘉納治兵衛(7代目)
(白鶴醸造)
文化庁保管1959年6月27日
重要文化財
年ごとの春のわかれをあはれとも人におくるる人ぞしるらん
藤原仲文鈴木馬左也
(住友総理事)
3千円
北村美術館
北村文華財団蔵
1965年5月29日
重要文化財
ありあけの月のひかりを待つほどにわがよのいたくふけにけるかな
壬生忠見
(忠視)
塚本與三次
1万円
個人蔵1936年5月6日
重要文化財
焼かずとも草はもえなむ春日野をただ春の日にまかせたらなむ
中務山田徳次郎
9千円
法人蔵1936年5月6日
重要文化財
うぐひすの声なかりせば雪消えぬ山里いかで春を知らまし
  • なお斎宮女御は当初関戸守彦氏がくじを引いたが、その後益田孝氏と交換したと伝わる。関戸守彦氏は藤原敏行を落札する。
  • また別の話しによれば、益田孝氏が七千円のくじ(平兼盛)を引くが、土橋氏が益田と交換したともいう。

その後の伝来  

凡河内躬恒
武藤山治から大正9年(1920年)1月に高橋義雄へ

指定  

  • 現在32図が重要文化財に指定されている。
    • 指定名は下記のいずれかの様式となり、下線部に歌人名が入る。
      1. 紙本著色柿本人麿像〈/(佐竹本三十六歌仙切)〉
      2. 紙本著色三十六歌仙切〈(伊勢)/佐竹家伝来〉

関連項目  

三十六歌仙