付喪神

付喪神(つくもがみ)  

九十九神
長い年月を経て古くなったり長く生きた依り代に神や霊魂などが宿ったもの
荒ぶれば禍をもたらし、()ぎれば幸をもたらすとされる

  • 依代(よりしろ)とは道具や生き物、自然の物などである。
  • つまり長く生きた草木や動物だけでなく、命がないと思われている道具でさえも、長く使われ古くなるにつれて霊性を獲得し自ら変化する能力を獲得するという考えである。現代日本人の中にも残っている感覚ではあるが、中世に生きた日本人はこのことを強く意識していたという。

つつも  

  • "つくも"は元々は"つつも(次百)"であるとされる。
  • 古語で、ものの満ち足らないことを意味する"つつ"に、百を意味する"も"を加えることで、「百に一足りない(百のひとつ手前=次が百)」という意味になっている。
  • そこから、元々は「次百」のところ「九十九」を"つつも"と読んだとされる。

つくも  

  • その後「つつも」から「つくも」に転訛した(なまった)のは、伊勢物語であるとされており、「九十九髪」を白髪の意味で使用したことが始まりとされる。

    もゝとせに ひとゝせたらぬ つくもがみ われをこふらし おもかげに見ゆ
    百年に一とせ足らぬ九十九髪 我を恋ふらし俤にみゆ
    (伊勢物語 第63段)

    「百」の文字から「一」を引くと(取ると)「白」の字となり、白髪を意味する。"江浦草"(つくもぐさ、フトイという水草の古名。オキナグサに似ているとも)の姿から九十九に掛けたともいう。

    伊勢物語は在原業平が主人公とされる物語。第63段では、老いてなお色恋を求める老女が登場し、三人の息子に夢語りをする。親孝行の末子はその夢を叶えてやろうと在五中将(在原業平)に直訴し、心動かされた業平は一夜を過ごしてやった。しかし老女はそれだけでは満足せず、遂には業平の元へでかけ垣間見をしてしまう。それに気づいた業平が詠んだのが「もゝとせに」の歌である。

付喪神の登場  

  • 一説には「付喪神(つくもがみ)」が登場したのは室町時代と言われている。
  • この頃、道具などにおいて様々な技術的な革新があり、古くなった物が捨てられるという風潮が現れたという。それと「九十九髪」を掛けあわせ、「付喪神」として物を大切にする心構えを説いたものではないかとされる。
  • 伊勢物語抄では付喪神は百鬼夜行の事であるとする。

    つくもがみとは、百鬼夜行の事也。陰陽記に云う、狸??狐狼(りとうころうとう)之類満、百年致人恠喪、故名属喪神(ツクモカミ)といへり。是はりとうころうとうのけだ物、百年いきぬれば色々のへんげ(変化)と成て人にわづらひをあたふ。是は必夜ありきてへんげをなすゆへに、夜行神ともいふなり。九十九といふ年よりへんげそむる也。仍百年に一とせたらぬつくもがみといふ。女九十九にはあらねども夜ありきて業平をのぞきてわびしく心くるしき(ワザハイ)をつくる故に付喪神といふなり。又、海につくもというもの有。人のかみのちゞたるに似たり。年のよりたるひとのかみはつくものやうに成といふ心も有なれども、夜行神事、実義也。
    (伊勢物語抄)

    りとうころうとうの2文字目は「けものへんに豆」。この伊勢物語抄では、百鬼夜行由来の説と、つくも草(海草)由来の説とをあげるが、百鬼夜行が本義であるとする。つまり老女が垣間見をして煩わすのは、まるで百鬼夜行のようだということである。

  • また御伽草子(付喪神絵巻)ではこれにより生まれた習慣を説明する。

    陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。
    是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出だして、路吹に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。これすなはち百年に一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり。又新玉の始め、楡柳の火を切り、若水をむすび、衣装家具等にいたるまで、みな新らしく、声華やかなる事、たゞ富貴の家のおごれるよりおこりたると思ひたれば、かの付喪神をつゝしみて、新を賞しけりと、今こそ思ひ合はせて侍れ。
    (付喪神絵巻)

    立春とは二十四節気の第一で、正月節(旧暦12月後半から1月前半。現代の新暦では2月4日あたり)を指す。

煤払い  

  • 付喪神は人の魂を惑わすといい、江戸時代には付喪神の災難に遭わぬようにと旧暦12月下旬になると「煤払(すすばら)い」を行ったという。公家の日記にもこの「煤払い」がたびたび登場する。

    (元和二年)十二月十五日、壬子、天晴、一禁中學文所ノ御煤払ニ参了
    十六日、癸丑、天晴、一禁中御學文所ノ御煤払ニ参了
    十九日、丙辰、雪、一禁裏御煤払アリ、各参了、常御所御賜殿迄了
    (言緒卿記)

    十二月十五日、晴天、禁中御學文所御取置召候、中御門宰相、中院宰相、正親町中納言、山科右衛門佐、阿野少将、万里小路宰相、予八人也、山科、予御座敷三間請取、二日御掃除いたし申候、御念入候故、各精を出、きれいにいたし申候、残明日可仕候由申上候
    十六日、晴天、午以前ニ朝参仕候、御掃除残仕候、終日草臥(くたびれ)申候
    十九日、今朝雪、禁中御煤払、予ハ清涼殿奉行之故御觸御さ候、紫宸殿清涼殿一紙ニ御書付候、朝参、俄召ニ外様衆若分をハ多分召、常御所之御取おき也
    (土御門泰重卿記)

    • ことに土御門泰重卿記の方では12月15日~19日にかけて煤払い(掃除)の様子が細かく描かれている。

関連項目