人間無骨

  1. 鬼武蔵長可の十文字槍
  2. 織田信長所持の刀
Table of Contents

十文字槍「人間無骨」(にんげんむこつ)  

十文字槍
銘 和泉守兼定

  • 和泉守兼定
  • 直刃のけら首から鋒までが一尺二寸二分、横手刃端の見渡しが一尺一寸
  • 表の首に「人間」、裏の首に「無骨」と彫られている

由来  

  • 表の塩首付近には「人間」、裏塩首付近には「無骨」の文字が彫られている。
  • この槍の前では人間の骨など無いも同然という恐るべき意味で、それほどの鋭い突き味を持っていた事から名付けられたとされる。

逸話  

  • 伊勢長嶋の戦いで、森武蔵守長可はこの槍を振るい27もの首級をあげ、信長をも感嘆せしめた。
  • またある時、首級をこの槍に突き刺し槍を立てて突いたところ、首が十文字を突き抜けて下まで行ってしまったという。

伝来  

  • 織田信長配下で、「鬼武蔵」と呼ばれるほどの猛将であった森武蔵守長可が使っていた槍。
    父の三左衛門可成も槍の名手として知られ、関兼定の十文字槍を奮い「攻めの三左」という異名で呼ばれた。戦で指が一本欠けており、手足の指を合わせると19本であったため、「十九」という蔑称で呼ばれたともいう。三左衛門可成の次男が長可、三男が蘭丸成利、四男が坊丸長隆、五男が力丸長氏。長男は初陣で討ち死に。蘭丸・坊丸・力丸は本能寺の変で信長とともに討ち死に、鬼武蔵長可も小牧長久手で討ち死にしたため、六男の忠政が美作国津山藩の初代藩主となる。
  • 津山藩主(のち備中西江原藩を経て赤穂藩)となった森家では参勤交代の先頭にこの名槍を掲げたという。
  • 昭和15年(1940年)遊就館名刀展覧会出品時は森俊成子爵所持。
    森俊成は、森家傍系である播磨国佐用郡三日月藩1万5千石の森長祥子爵の跡を継いで叙爵された。
  • いまも現存し、個人蔵となっている。
  • 古くから写しが作られており、写しのほうは現在森家先祖を祀る赤穂大石神社に所蔵されている。




信長所持「人間無骨」  


備前長船清光作
織田信長所持

  • 鬼武蔵の「人間無骨」は十文字槍だが、これは備前清光作の刀

由来  

  • 信長が、家臣の差していた長船清光で罪人を試した所、「人間骨無きが如く」斬れたため、それを召し上げ「人間無骨」と名付け差料とした。

来歴  

  • のち出羽天童藩の織田家に伝来しており、信長から信雄、四男信良の上野小幡藩に伝わり、そこから出羽天童藩織田家に伝わった。
  • 幕末に奥州盛岡藩士の小松原甚左衛門が実見している。

出羽天童藩  

  • 天童織田藩
  • 織田信雄(信長次男、茶筅丸)の四男織田信良が上野小幡藩主となり、その9代目の織田信美が天保2年(1831年)に天童藩2万3千石の初代藩主となったのに始まる。
  • この縁により、山形県天童市には建勲神社があり祭神は織田信長命となっている。
  • 安土城郭資料館(近江八幡)に保管されている織田信長肖像画は、天童市三宝寺の所有である。寺では肖像画はイエズス会の宣教師であり画家のジョヴァンニ・ニッコロ(Giovanni Nicolao)が描いたものと伝え、それを明治時代に天童織田藩出身の宮中写真師大武丈夫が複写し宮内庁、織田宗家、三宝寺に保管したものである。


人間無骨  

  • 美濃関の左近衛権少将氏貞作の平造り脇差
  • 差表に「人間無骨」と彫ったもの。