五虎退吉光

五虎退吉光(ごこたいよしみつ)  

短刀
吉光(号 五虎退)
刃長八寸二分(24.8cm)
重要美術品
上杉家蔵

  • 無反り。
  • 表裏に護摩箸。古剣書には目釘孔が2つあるが、昭和の頃には尻側が埋められ1つになっている。
  • 差表目釘孔下中央に二字銘。
    「五鈷吉光」とあるのは五虎退吉光の誤り。

由来  

  • 足利義満の遣明使として明に渡った役人(同朋)が荒野で5匹の虎に襲われたが、この短刀で追い払った(退けた)ために付けられたという。
  • 帰国後に義満に報告すると「五虎退」という異名を付けた。

来歴  

  • 同朋から足利義満に伝わり、朝廷に献上された。
  • 長尾景虎(後の上杉謙信)が足利義輝の要請を受け永禄2年(1559年)5月に上洛した際に、正親町帝より拝領した。
    上杉謙信が、山内上杉家の家督と関東管領職を相続し名を上杉政虎と改めたのは永禄4年(1561年)閏3月、法号「不識庵謙信」としたのは元亀元年(1570年)。
  • 昭和12年(1937年)12月24日重要美術品指定、上杉憲章伯爵所持

    4169 短刀 銘吉光 腰刀拵(柄ナシ) 伯爵上杉憲章
    (昭和12年文部省告示第434號)

  • 現存、個人蔵。
    ※時折、米沢市上杉博物館で展示公開される。非常設展示。

エピソード  

一度目の上洛  

  • 天文21年(1552年)4月、景虎は「従五位下」に叙し「弾正少弼」に任ぜられる。
  • 景虎は翌天文22年(1553年)、叙位任官の御礼のため上洛、参内し、後奈良帝に拝謁して天盃と御剣を賜り、「私的戦乱平定の綸旨」を頂戴した。この時の剣が「瓜実の剣(瓜実の御剣)」であり、上杉家御手選三十五腰にも入っている。

    天文十九年卯月十七日
    白傘袋毛氈鞍覆御免之節

二度目の上洛  

  • さらに弘治4年(1558年)、将軍義輝から上洛要請があり、翌永禄2年(1559年)5月に二度目の上洛を果たし、正親町帝と足利義輝に拝謁している。この時正親町帝より「五虎退」を拝領した。
  • さらに足利義輝からは「文の裏書」、「塗輿」、「菊桐の紋章」、「朱柄の傘」、「屋形号」の使用許可を得たという。これらは、天文19年に許可を得ていた「毛氈の鞍覆」、「白傘袋」と併せて上杉七免許と呼ばれている。

    裏書事、免之条、加分別可存其旨候、猶晴光可申候也

    塗輿免之条、可存其旨候、猶晴光可申候也
    永禄二年六月廿六日(義輝花押)
      長尾弾正少弼とのへ

  • このうち、「文の裏書」は三管領家一族にのみ許されたものであり、また「塗輿」は将軍、三管領家、相伴衆にのみ許されたものであるため、これをもって越後長尾家は、三管領家並みの家格を保障されたとする。


「十虎退」  

  • 明治14年10月、明治天皇が上杉家に行幸した際に上杉家の重宝が上覧され、この「五虎退吉光」も天覧に供した。
  • その時天皇は孝明天皇遺愛の吉光を携行されており、随行していた本阿弥某を側に召し、どちらの出来がいいかお尋ねになったという。本阿弥が「先帝御遺愛の吉光が五虎退よりも優れております」と奉答すると、「五虎退より優れているなら十虎退じゃのう」と御満悦であったという。