上野貞宗

上野貞宗(こうづけさだむね)  

短刀
無銘 貞宗
名物 上野貞宗
9寸5分(28.8cm)
徳川美術館所蔵

  • 享保名物帳所載

    上野貞宗 長九寸五分 代七千貫 尾張殿
    表剣爪、裏護摩箸、本多上野介所持、闕所道具に成て寛永七御城より下り三百枚の代付後ち七千貫に上り千代姫君様御入輿の刻、家光公より尾張大納言殿拝領なり

由来  

  • 名は所持者の本多正純の任官名「上野介(こうづけのすけ)」に由来する。
    上野国は親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は"上野介"。常陸国、上総国などと同様で太守に任じられる親王を除き、"上野守"などを名乗らない。織田信長は一時"上総守"を名乗ったことがあるが、すぐに"上総介"に改めている。

来歴  

  • 元和8年に本多正純が失脚し闕所に処せられると、この上野貞宗は「闕所道具」として将軍家に納められた。
  • 寛永7年に金300枚の代付けがあり、のち七千貫となった。
  • 寛永16年(1639年)9月21日、徳川家光の娘千代姫が徳川光友に輿入れする際に、引き出物として「大森藤四郎」とともに尾張家徳川義直へ下賜された。

    (寛永十六年九月)廿八日干代姫御方西城の奧へまうのぼりたまふ。右兵衞督光友朝臣もまうのぼられ。白木書院にて御對面あり。眞守の太刀。時服五十。卷物五十。銀千枚獻ぜらる。大納言義直卿も定利の太刀。時服五十。綿五百把。金百枚さゝげらる。御盃つかはされ。光友朝臣へ五月雨郷の御刀。吉光の御脇差を引出物し給ひ。義直卿へ貞宗の御刀。大森吉光の御脇差をつかはさる。

  • 以来、尾張徳川家に伝来する。
  • 14代尾張義勝は、この貞宗に海老鞘巻の拵えをつけ、差料にしている。
  • 現在は徳川黎明会が所有し、徳川美術館で所蔵・展示している。