三筋町七人衆

三筋町七人衆(みすじまちしちにんしゅう)  

  • 島原の元となった遊里である三筋町を代表したと言われる遊女

経緯  

  • 天正十七年に足利家浪人原三郎右衛門が京都市中に散財していた遊女屋を一箇所に集める献策を行い、秀吉に許しを得て出来たのが二条柳町であった。現在の寺町、柳馬場、夷川、押小路の辺りであったという。
  • その後御所の近くであることを恐れ、慶長七年には六条三筋町(柳町)に移ったという。五条から魚棚、宝町から西洞院にあった。六条の廓内に上ノ町、中ノ町、下ノ町があり、三筋の小路が通っていたことから呼ばれたという。
  • この後寛永十八年には朱雀野に再度移転させられ、そこが島原遊郭と呼ばれることになる。
  • この六条三筋町の遊郭には、七人衆として林屋(林与次兵衛の抱え)二代目吉野太夫、林屋の対馬、土佐、柏屋の三笠、宮崎屋の小藤、若女郎家の葛城、永楽屋の初音が三筋町七人衆として花形とされた。