三沢初子

三沢初子(みざわはつこ)  

仙台藩3代藩主伊達綱宗の側室
三沢氏

生涯  

  • 4代藩主となった伊達綱村の生母三沢初子(綱村側室)は、出雲の国人領主三沢氏の生まれ。
  • 尼子氏から毛利氏に仕えた三沢為清の玄孫が初子になる。三沢為清の子が三沢為虎、為虎の子の三沢為基は後に長府藩を出奔し陸奥仙台藩主伊達氏に仕え、その孫が初子になる。
    なお為基の子、三沢清長は美濃大垣の城主氏家広定(卜全三男)の養子となっていたともいう。それが正しいとすると仙台藩に仕えだしたのは為基の代ではなく、孝勝院振姫が伊達忠宗に嫁ぎ、それに伴って初子が叔母の紀伊に連れられて伊達家に入って以後ということになる。
               伊達綱宗(仙台藩3代藩主)
                ├───┬伊達綱村(仙台藩4代藩主)
三沢為清─為虎─為基─清長─┬三沢初子 ├伊達村和(陸奥中津山藩主)
              └三沢宗直 └伊達宗贇(伊予宇和島藩3代藩主)

振姫付きの侍女から綱宗側室へ  

  • 三沢初子は若くして父母と死別したために叔母の紀伊に養われた。
  • 紀伊は幕府に仕えて徳川秀忠の養女振姫(池田輝政の娘)付きの侍女となり、のち元和3年(1617年)12月に振姫が2代伊達忠宗の正室となったことで伊達家に移り、その縁で初子も振姫付きの侍女となる。
  • その後、初子は3代伊達綱宗に見初められ側室(綱宗は正室を置かなかったため事実上の正室)となっている。まもなく綱宗と初子の間には、綱村が生まれた。
  • 綱宗が藩主となって2年後、仙台藩において綱宗隠居事件が起こり、幕命により逼塞を命じられ隠居する。家督は嫡子の亀千代(綱村)がわずか2歳で継ぐこととなった。

綱宗隠居後  

  • 初子は万治3年(1660年)に隠居した後の綱宗にも付き従い、すでに家督を継いでいた綱村のほかに、寛文5年(1665年)に伊達村和、寛文6年(1666年)には伊達宗贇と男子3人を産んだ。
  • 貞享3年(1686年)2月4日歿す。享年47。
  • 仙台城東の榴ヶ岡にある孝勝寺に葬られた。
  • この三沢初子が使ったとされる帯が現存し、重要文化財に指定されている。


    三沢初子所用
    重要文化財
    仙台市博物館所蔵


子孫  

  • 初子の末子伊達宗贇は後に伊予宇和島2代藩主伊達宗利の次女と結婚してその婿養子となり、伊予宇和島藩3代藩主となった。
  • また初子の弟の三沢宗直は姉の縁で仙台藩に召抱えられ、延宝3年(1675年)には仙台藩藩主伊達綱村の命により仙台藩家格一門に昇格した。




逸話  

釈迦像  

  • 綱村が2歳で藩主となった際、我が子の無事を案ずる初子は、釈迦像を刻んだ伽藍の香木をまげの中に納め、亀千代の除災招福を祈願したという。のち寛文事件が収束したとき、初子はまげの中の仏を綱村に与え「これはあなたの守り本尊だから、城外に安置しなさい」と遺言したという。
  • 綱村はその母の遺志を守り、榴ヶ岡に釈迦堂を建立している。のち初子の墓所である孝勝寺境内へ移設された。


歌舞伎  

  • 三沢初子は、江戸時代の歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の登場人物政岡のモデルと信じられ、その墓は「政岡の墓」として知られた。

関連項目