高梨仁三郎


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 高梨仁三郎(たかなしにさぶろう)

実業家
東京コカ・コーラボトリングの創業者

東京コカ・コーラボトリングは、かつて存在した東京都を販売拠点とする日本コカ・コーラのボトラー。のち経営統合して持株会社であるコカ・コーライーストジャパン株式会社の子会社となり、さらに他のボトラー会社を統合してコカ・コーライーストジャパンが事業会社化したため消滅した。現在コカ・コーライーストジャパンは、関東・東海・南東北地方1都15県におけるコカ・コーラ社製品の製造・販売を行っている日本最大のコカ・コーラボトラーとなっている。

  • 高梨仁三郎は、この「東京コカ・コーラボトリング」の創業者である。
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 生涯

  • 野田醤油取締役の28代高梨兵左衛門(小太郎)の次男として、明治37年(1904年)4月12日に生まれる。生母は10代茂木七左衛門の長女歌子。兄は高梨小一郎。
    高梨兵左衛門は醤油醸造の高梨家当主が代々名乗っている。野田(千葉県北西部の野田市)ではこの高梨家と茂木家が全国で最有力の醤油醸造家として君臨しており、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油は幕府両丸(本丸・西丸)御用醤油にも指定されている。大正6年(1917年)28代高梨兵左衛門のとき、茂木一族および高梨一族の8家合同による「野田醤油株式会社」が設立され、これが後にキッコーマン株式会社となった。なお「亀甲萬」は茂木佐平治家が使っていたものである。
  • 初名は茂二郎。
  • のち高梨松之助の養子となり、仁三郎へと改めている。
    26代高梨兵左衛門の三男・高梨松之助は、東京醤油問屋近江仁三郎家を継ぎ、高梨仁三郎家を興した。茂二郎はこの養子となり、2代高梨仁三郎となっている。妻は栃木の飯塚菊太郎の娘・トシ。
  • 昭和3年(1928年)東京外国語大学伊語貿易科卒業。

    私は中学四年で高等学校をうけたのですが、幸か不幸か体格検査の日に喀血をしました。そしてこれではどうにもしようがないと思い、家へ帰って、それから二年間学校を休んだのです。その間に友だちは高等学校へみな入ってしまいました。そのとき私は仲間より先に世の中へ出るにはどこがよいかと考えたのです。私の主治医は学校は無理だとおっしゃるので、いちばんやさしいのはどこかと聞くと、外語のイタリー語がいいというのです。そして受けたら幸いにして入ったものですから、そこで三年やって、高校、大学を出たものよりも一年早く世の中へ出ました。

  • 同年4月、野田醤油株式会社が設立した食品卸問屋で、東京日本橋小網町にあった合資会社小網商店に入社する。

    学校を出て会社へ勤めようと思っておりましたころにキッコーマン醤油が合併いたしました。それまでそれぞれの家が東京に問屋をもっていたわけですが、その問屋が、もとが合併したのに東京で個々にやっているのもおかしいということになって、五軒ありました醤油問屋が合併したのが、いまの小網商店です。それは、昭和二年にできました。そのときに私の母の弟であった叔父が、ほかで働くのならうちへ来ないかといって、以来私は食料品の世界に入ったわけです。

    キッコーマン創業家の設立した会社。のち株式会社小網商店、株式会社小網。合併を繰り返し平成16年(2004年)に三井食品。
  • のち小網商店の社長となる。

    前の社長が会社を満州に進出するということで向こうへ出かけて、不慮の事故で急に亡くなったのです。それ以後私は社長でやっておりましたが、そのうちに統制になり、食料品はぜんぶ統制会社にひきつがれ、私の手許に残った人間は七人でした。それで七人で細々ながら小網商店のあとを守ってきておりましたが、昭和二十一年に統制会社がはずれて、それから応召で外地に行っていたものも、帰ってまいりました。

  • この頃、知人宅で開かれたパーティに出席し、清涼飲料コカ・コーラと出会う。のちこの味に魅了され、事業化を志す。

    そのころ、私の知っている方が、一人の二世をひっぱってきたのです。その方が、九州の小倉でコカ・コーラというものを造って、軍に供給しているのだけれども、将来はこれを日本の人にもやっていただきたいし、ひじょうに面白い商売だと思うので、いっぺん研究しないかといわれたのです。昭和二十年の暮のことで、当時は誰もコカ・コーラというものを知りません。米軍が黒い飲み物を飲んでいるという程度しか知識がなかったのですが、せっかくそういって下さるのだからいっぺん調査しようということで、弟を小倉に見学に出したのです。それでどうもよさそうだというので、当時米国から来ておりましたこちらのマネジャーにお会いして、そのときに初めてフランチャイズというものを聞いて驚いたのです。

  • しかし当時外貨消費につながるコカ・コーラ原液の輸入には国会での反対もあり難航し、数年の後昭和28年(1953年)6月にようやく原液の輸入許可が降りた。同時にコカ・コーラのボトラーとしての承認を得るために、芝浦にあったコカ・コーラ製造工場を買収した上で渡米し、東京でのコカ・コーラの販売権を獲得した。
  • こうして昭和31年(1956年)11月、東京飲料株式会社(現、コカ・コーライーストジャパン株式会社)を設立する。翌年3月にザ コカ·コーラ カンパニー及びザ コカ·コーラ エクスポート コーポレーションとの契約を締結し、日本におけるボトリング会社第一号が誕生したのであった。

    私は小網商店を経営しておりましたが、コカ・コーラをやるためにお金がたいへんいりましたので、とても小網商店と両方やるわけにはまいりませんので、私は小網商店の社長をひいて、こちらへまいりました。そして当時株をもっていただきたいと、方々へお願いにあがったのです。キリンビールにもまいりましたし、三菱銀行さんにもまいりましたし、それから野田へもまいりましたしが、どこの会社も「うん」といってくださらないのです。コカ・コーラの事業はいいものだから一緒にやりましょうとおすすめしても、一緒にやってくださるという方は一人もいらっしゃらなかったのです。しかたがないので、相談して兄弟みんなに株をもってもらってはじめたのが、この会社です。そうした不人気の原因の一つは、農林省が、コカ・コーラを出すと、中小企業に与える影響が大きいということで、ご許可をくださらなかったことです。

 益田孝との関係

  • 益田孝(鈍翁)の蒐集した美術品をマッカーサーが買い取るという噂が流れ、その多くを買い取る。

    どんなものがあるかを調べてみたら非常にいいものがある。これを百万ドルで買っていかれては困る。それではぼくらで買いましょうというので畠山さんとか松永さんとかが言いだして、私が一番若かったものですから、買っちゃえというので買い出した。それが始まりなのです。益田家では大体瀬津さんを通して手放して、あまりバラ売りはしなかったから、大部分はぼくのところに来た。それで海外流出を防いだと思っている。

  • 益田家から買い取った主な美術品
源氏物語絵巻
阿波蜂須賀家に伝来したもので、いわゆる「蜂須賀家本」と呼ばれているもの。のち五島慶太所蔵。国宝。現在は五島美術館所蔵
過去現在絵因果経
断簡。旧益田家本。巻第四上。
青井戸茶碗
銘「隼」。大坂の生島家伝来。内箱には伝伏見宮貞愛親王筆による「隼」という銘書がある。
熊川茶碗
田安家伝来。昭和7年(1932年)に益田孝が二万円で買い取ったもの。

 五島慶太との関係

  • 益田孝から買い取った「源氏物語絵巻」など高梨の集めた多くの美術品は、のち五島慶太へと渡る。

    悪い癖は美術品を買おうとばかりしますので、年中首がまわらないのです。私は殷時代の白陶から集めてずっともっておりましたが、明日の支払いもできないということになって、いっぺん放しました。そして放したものがいまほとんど五島美術館にあるのです。五島慶太さんがよこせとおっしゃったのです。俺はもう先に死んでしまう、お前はまだ若いのだから、もう一回やればいい、俺にあれをよこせということで譲ったのです。


 野田醤油(キッコーマン株式会社)

  • 高梨兵左衛門家は、野田醤油(現キッコーマン)の創業家一族である。

 概要

  • 野田醤油は、幕府両丸(本丸・西丸)御用醤油にも指定されていた髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油醸造会社が合同して設立した会社。

 統合

  • 大正6年(1917年)茂木一族および高梨一族の8家合同による「野田醤油株式会社」が設立され、これが後にキッコーマン株式会社となっている。
  1. 【高梨兵左衛門家】:本印「ジョウジョウ」
  2. 【茂木七左衛門家】:本印「クシガタ」 ※茂木本家
  3. 【茂木佐平次家】:本印「キッコーマン(亀甲萬)」 ※貞享5年(1688年)茂木分家
  4. 【茂木七郎右衛門家】:本印「キハク」
    4代目七左衛門の未亡人が孫娘の娘婿に高梨家22代の長男を迎えて興した。のち房五郎家と中野長兵衛家が分家する。
  5. 【茂木房五郎家】:本印「ミナカミ」
  6. 【茂木勇右衛門家】:本印「フジノイッサン」 ※文政5年(1822年)茂木分家
  7. 【茂木啓三郎家】:本印「キッコーホマレ」
    茂木房五郎家からの分家。房五郎の次女とき子と結婚し養子となる。
  8. 【堀切紋二郎家】:本印「フンドーマンジョウ」
  • 統合時に「キッコーマン」を本印にしたのが今日引き継がれ、さらに社名となっている。
    統合時には「キッコーマン」のほか、「ジョウジョウ」「キハク」についても継続使用していたが、昭和15年(1940年)公正価格形成委員会より「一社一規格一マークの方針が打ち出されたために「キッコーマン」へと統合された。
  • 現社名「キッコーマン醤油株式会社」に商号変更したのは6代社長(2代茂木啓三郎)の時昭和39年(1964年)で、さらに昭和55年(1980年)に「キッコーマン株式会社」と改めている。平成21年(2009年)、同社は持株会社へと移行、主力の調味料製品を製造販売しているのはキッコーマン食品株式会社となっている。

 歴代社長

  1. 茂木七郎右衛門(6代):1917~1929年
  2. 茂木七左衛門(11代):1929~1943年
  3. 茂木佐平次(9代):1943~1946年
  4. 中野榮三郎:1946~1948年 ※茂木七郎右衛門系
    七郎右衛門の次男で、中野家に養子に入った人物。
  5. 茂木房五郎(5代):1958~1962年
  6. 茂木啓三郎(2代):1962~1974年 旧姓飯田氏
  7. 茂木佐平次(10代):1974~1980年
  8. 茂木克己:1980~1985年 旧姓藤崎氏で茂木順三郎の養子となる。
    茂木順三郎は茂木七郎右衛門6代の長男で、弟に中野家の養子となった栄三郎がいる。
  9. 中野孝三郎:1985~1995年 ※茂木七郎右衛門系
    4代中野榮三郎の長男
  10. 茂木友三郎:1995~2004年 父は6代社長啓三郎
  11. 牛久崇司:2004年~2008年 ※初の創業家以外からの社長就任
  12. 染谷光男:2008年~2013年 ※創業家以外
  13. 堀切功章:2013年~2021年 ※初の堀切紋二郎家出身
  14. 中野祥三郎:2021年~ ※茂木七郎右衛門系
    9代中野孝三郎の次男

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