真田家伝来の刀


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 真田家伝来の刀(さなだけでんらいのかたな)

Table of Contents
  • 真田幸村(信繁)所用と伝わる刀剣については「真田幸村」の項参照
  • この項では幸村以外の真田家に伝来した刀剣類を記す

 

真田藤四郎
短刀 銘「吉光」長八寸一分。真田伊豆守信之所持。享保名物(ヤケ)。明暦の大火で焼失した。
太刀
銘「一」長67cm、反り1.5cm。三所物金獅子は後藤乗真作。鞘には梨子地葵紋散蒔絵がほどこされている。信州上田藩真田家伝来。昭和12年5月25日重要文化財指定。福岡市美術館所蔵。
真田行光
大磨上無銘 相州行光極め。長二尺三寸五分。目釘孔4個。金無垢二重の鎺に真田家定紋である六文銭が入る。
鎖切正宗
もとは武田家重代。北条氏から信玄に養子に出された三郎(後の上杉景虎)が悶着を起こした時に、真田小市が破ったのを賞して永禄元年(1558年)小市(あるいは市平とも)に与えたという。ただし三郎は天文23年(1554年)生まれで、この時4歳でしかない。のち真田幸隆所蔵。二尺以上の刀で大磨上無銘であった。これには感状が附いていたという。

当家之重器くさりきり正宗之刀ヲ褒美として差遺

真田正宗
刀 大磨上無銘、伝長義。長70cm、反り1.6cm。鋩子は乱れ込み突き上げて強く返る。表裏に棒樋。目釘孔1個。真田家伝釆で、古来「真田正宗」と呼ばれてきた。群馬県指定重要文化財。個人蔵
大太刀
銘「備中国住人□□/延文六年二月日」真田源太左衛門尉信綱(真田幸隆=幸綱の嫡男)の所持で、武田勝頼に属し長篠の戦いにおいてこの大太刀を振り回して奮戦するも討ち死にした。□□は読み取れないが、「真田家譜」には「青江貞次の鍛えたる三尺三寸余りの陣刀」と記される。物打ちのあたりに大きな刃こぼれがあるが、真田家はこの刃こぼれをそのままにして重宝として伝えた。真田宝物館所蔵
※この大太刀と同物と思われる太刀が、明治36年(1903年)の第五回内国勧業博覧会に出品されている。

眞田信綱差料太刀  壹振   伯爵 眞田幸民シ所藏
此ノ太刀ハ天正ニ年乙亥五月二十一日眞田源太左衛門信綱ガ其弟兵部丞昌輝ト共ニ三河國長篠ニ於テ戰死セシ際ニ用ヒシ所ノモノナリ。當時其ノ臣白川太郎兵衛首級ヲ擧ゲ陣羽織ニ包ミテ此ノ太刀ト共ニ携ヘ歸レリト云フ。
備中國青江貞次ノ作ニシテ今ヲ距ルコト五百七十餘年前ノモノナリ。(貞次ハ嘉暦延元ノ頃ノ人ナリ)刄ノ長サ三尺三寸九分半、反リ九分半、十両四百七十目アリ。

無銘 伝三原。刀長71.9cm。大磨上無名。目釘孔3個。真田昌幸が朝鮮出兵の恩賞として豊臣秀吉から拝領したもの。真田宝物館所蔵
短刀
銘「吉光」刀長24cm。目釘穴3個、うち1個は金で埋める。大振りの二字銘で「吉」の字の一部が目釘穴にかかる。小柄は後藤祐乗の作。後の2代藩主である真田信政が人質として江戸にいた時に家康より拝領したもの(関ヶ原の際に当時4歳信政を人質として送った信之が拝領したとも)。真田家では、重宝の筆頭として緊急時に担ぎ出す長持ちの奥深く保管していた。花の丸御殿の玄関に次ぐ大広間の床の間に、腰の物、箪笥、惣青貝の槍、大太刀とともに安置され、番頭1人武士5人が列座し昼夜警護を怠らなかったという。真田宝物館所蔵。

慶長)四年質として江戸にいたる。時に四歳。(慶長)五年祖父昌幸三成にくみすといへども、父信之はなを御麾下に属したてまつりしかば、東照宮父が忠志を感賞せられ、信政を御前にめされて御みづから佩させたまふところの吉光の御刀をたまはる
(寛政重修諸家譜)

[ID:6036] 短刀 銘「吉光」 (真田信政所用) : 資料情報 | 収蔵品データベース | 真田宝物館
平成3年(1991年)2月14日県宝指定(長野県指定文化財)

 その他

吉光のお長持」
信州松代藩には「吉光のお長持」と呼ばれる長持(収納用木箱)が伝えられていた。中身は家康より拝領の吉光が納められているとされ、常に4人もの不寝番が付き、家老ですら中を見たことがなかった。明治維新後に中を確認したところ、中には刀ではなく石田三成からの書状13通が入っていたという。

 関連項目

武田家の刀 / 上杉家御手選三十五腰


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