池田忠雄

※当サイトのスクリーンショットを取った上で、まとめサイト、ブログ、TwitterなどのSNSに上げる方がおられますが、ご遠慮ください。

池田忠雄(いけだただかつ)  

江戸時代前期の大名
淡路国洲本藩主、のち備前国岡山藩第2代藩主
勝五郎・新次郎
正四位下、宮内少輔、参議

Table of Contents

生涯  

  • 池田輝政の継室、督姫(徳川家康の次女)の子で、幼名は勝五郎・新次郎。
  • 慶長7年(1602年)10月、姫路城で生まれる。

家康外孫  

  • 慶長13年(1608年)に7歳で元服。
  • 家康の外孫にあたることから、わずか9歳で淡路洲本6万石を与えられる。実際には姫路に留まり、重臣が政務にあたっている。
    輝政と徳川家康の二女督姫の間に生まれた(家康の外孫にあたる)ことから、岡山の池田宗家から独立した国持大名とされ、外様大名でありながら松平姓と葵紋が下賜され、親藩に準ずる家格を与えられた。

輝政の形見分け  

  • 慶長18年(1613年)1月に父輝政が死ぬと、豊後正宗ほかを相続する。

    諸道具割符帳
     宮内少輔に相渡候分、
    一、豊後正宗之刀
    一、一文字之刀  御所様(家康)より拝領、
    一、國行之刀
    一、来国俊之刀
    一、吉田次郎右衛門刀 輝政不断指
    一、遺刀 拾腰
    一、遺脇指 五腰
    一、鑓之身 壹本
    一、太刀 三振
      以上、
     刀合拾五腰、 脇指合五腰、 太刀合三振、鎧之身壹本

徳川政権下  

  • 慶長19年(1614年)大坂の陣に出陣。
  • 元和元年(1615年)、大坂の陣の後に同母兄の忠継が17歳で急死したため、その遺領備前岡山藩38万石を継ぐ。
    この時、旧領の洲本藩は廃藩とされ、蜂須賀至鎮に与えられ徳島藩に組入れられた。
  • ただし遺領38万石のうち、母・良正院(督姫)の化粧料10万石より、同母弟・輝澄(山崎藩3万8,000石)や政綱(赤穂藩3万5,000石)、輝興(平福藩2万5,000石)らにそれぞれ分与したため、忠雄の領地は31万5,200石となった。
  • 元和6年(1620年)から始まった大坂城改築工事では、自らの担当場所に蛸石、肥後石、振袖石というそれぞれ大坂城内で第一位から第三位となる巨石をはじめ、その他様々な巨石を運び込んだ。
  • また岡山城の改築にも取り組み、現存する月見櫓近辺の石垣などを打ち込み接ぎで築き、天端石には石狭間を設置した。
  • 寛永7年(1630年)、小姓の渡辺源太夫が藩士・河合又五郎に殺害されるという事件が起こり(鍵屋の辻の決闘)、脱藩した又五郎をかくまった旗本・安藤正珍と岡山藩池田家との争いに発展した。
  • 寛永9年(1632年)、又五郎誅殺を願いつつ、31歳で死去。
  • 家督は長男・光仲が継いだが、幼少だったために因幡国鳥取藩に転封となり、幕末まで続いた。

刀剣  

吉田兼光
毛利輝元から。享保名物
大坂当麻
秀忠薨去時に、遺物として贈られた。享保名物
毛利正宗
秀吉遺物として毛利秀頼(河内守長秀)が拝領。京極家から池田家に入り、元和元年(1615年)12月26日に将軍家に献上している。享保名物
浦島虎徹
因州鳥取藩主家の池田家に伝来。

大包平の逸話  

  • 宗家にあった「大包平」を寄越すように要求するが、家老の日置豊前が強く拒んだため断念したという逸話が残る。
    日置豊前守忠俊は、名物日置安吉」を所持した人物。

系譜  

子:池田光仲  

  • 因幡国鳥取藩初代藩主。鳥取藩池田家宗家3代。
  • 母は阿波国徳島藩主・蜂須賀至鎮の娘・三保姫。幼名は勝五郎。
  • 寛永9年(1632年)に父忠雄が急死し、3歳で家督を継いだ。
  • 姫路は要衝であるため、光仲は幼少であることを理由に、因幡・伯耆を有する鳥取藩32万石へと移り、代わりに従兄で鳥取藩主となっていた池田光政が備前岡山藩31万5,000石へ国替えとなった。
  • この際に、叔父の池田輝澄(播磨国山崎藩主)、輝興(播磨国赤穂藩主)、さらに光政が後見人として充てられた。光仲自身は幼少のために江戸藩邸に在住し、領国経営は荒尾氏を筆頭とする家老を中心とした側近に委ねられた。光仲が領国に初入国したのは慶安元年(1648年)、藩主となって16年を経てからである。
  • 寛永15年(1638年)、家光の前で元服し、偏諱を受け光仲と名乗った。
  • 正保2年(1645年)幕府の斡旋で紀州藩主・徳川頼宣の長女・茶々姫と結婚した。以後、鳥取池田家と紀州徳川家との姻戚関係が継続した。
  • 光仲は「鍋島藤四郎」を入手し、のち嗣子綱清が元禄13年(1700年)7月晦日に隠居御礼として綱吉に献上している。将軍家伝来。
  • 光仲の長男池田綱清:鳥取藩2代藩主
  • 光仲の次男池田仲澄:鹿奴藩初代藩主
  • 光仲の三男九鬼隆律:摂津三田藩主
  • 光仲の四男池田清定:若桜藩(鳥取西館新田藩)初代藩主

子:池田仲政  

  • 母は阿波国徳島藩主蜂須賀至鎮の娘・三保姫。幼名は勝三郎。
  • 池田忠雄の次男で、池田光仲の弟。
  • 寛永9年(1632年)生まれ、同17年(1640年)1月28日、初めて将軍徳川家光に謁見する。
  • 正保3年(1646年)12月30日、従五位下美濃守に叙任したが、慶安2年(1649年)10月17日、兄に先立ち18歳で早世した。

関連項目