金森正宗


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 金森正宗(かなもりまさむね)

短刀
無銘 正宗
8寸3分(25.1cm)
個人蔵

  • 享保名物帳所載

    金森正宗 無銘長八寸三分 代金三百枚 御物
    金森法印所持息出雲守殿へ御伝え、家康公へ上る、秀忠公へ御伝へ、寛永四年卯土井大炊頭殿へ油屋肩付の御茶入家光公より下さる、同八年八月廿八日大炊頭殿宅へ秀忠卿御成、同九月二日家光公御成両度の由右脇差拝領なり、子息遠江守へ伝はり隠居の刻家綱公へ上る、延宝八御遺物として得松殿へ被進

    • 徳松は5代将軍綱吉

 由来

  • 号は飛騨高山城主金森法印長近が所持したことによる。

 来歴

 金森長近

  • 金森長近は慶長13年(1606年)金具を埋忠寿斎に造らせている。
  • その後、子の金森出雲守可重を経て、孫である長門守重頼に伝わる。

 将軍家

  • 元和元年(1615年)9月、父可重の遺物として、金森重頼が来国次の刀とともに献上し、徳川将軍家の所蔵となる。

    閏六月三日、酉刻飛騨国主金森出雲守正重(可重)死去云々、九月廿三日、及晩金森長門守重頼、父出雲守正重為継目御礼御目見、出雲守遺物国次刀正宗脇指羽茶壺献之、長門守献銀子二百枚弟両人銀子従妹宛献之云々
    (駿府記)

    このとき長光太刀を献じ、また父が遺物国次の刀、正宗の脇指をよび志賀の茶壺をたてまつり、台徳院殿に志津の刀、吉光の脇指、肩衝雲山の茶入を献ず。この後、台徳院殿より雲山の茶入をかへしたまはり、天下の名物なれば家にとゞめて秘蔵すべきよし仰をかうぶる。
    (寛政重脩諸家譜)

 尾張家・将軍家

  • 秀忠が尾張義直に贈るが、のち寛永2年(1625年)2月に将軍家光が尾張邸に御成の際に献上されている。

    この日義直卿に賜物、包次の御太刀大左文字御刀、左文字吉光御脇差、時服二百、虎皮従妹、豹皮従妹、銀三千枚、卿より献物、行平太刀大左文字の刀、金森正宗の脇差、時服二百、白糸百斤、金襴三十巻、襦珍百巻、綿千把、金三百枚なり

 土井家・将軍家

  • 寛永6年(1629年)8月に土井利勝が拝領。この時、利勝は「後藤藤四郎」、長光太刀、左文字の刀を献上している。※享保名物帳の「同八年」は同6年の誤り

    廿八日土井大炊頭利勝が邸に臨駕したまふ。利勝に金森正宗の御脇差。
    (徳川実紀)

    六年八月二十八日大猷院殿利勝が邸にならせ給ひ、金森正宗の御脇指(略)利勝もまた、左文字の刀、吉光の脇指、長光太刀をよび繻珍百端印子金二十丸を献ず。
    (寛政重脩諸家譜)

  • 万治元年(1658年)8月に土井利隆(土井利勝の子)が隠居の際に献上している。

    廿一日臨時朝會あり。松浦肥前守鎭信はじめ。參覲するもの六人。土井遠江守利隆致仕の得物金森正宗の刀。自如恩斷江兩筆の書幅を獻じ。高木善衣郎正盛より。亡父主水正正弘の遺物青江のさしぞへを獻ず。

 将軍家

  • 家綱薨去の際に、形見として延宝8年(1680年)6月、綱吉嫡子徳松丸に与えられる。

    館林徳松君に自恕恩軒江兩筆の掛幅。 金森正宗の指添。 茶壺(繁雪肩衝) 。

  • 徳松丸は天和3年(1683年)に夭折し、再び将軍家に戻る。
  • 寛政2年(1790年)4月に上覧。

     四月廿四日、左之御道具
       上覧ニ相廻ル、御名物御道具、是者帳面ニ而、
     
      一、金森正宗
        是ハ金森法印所持、息出雲守江伝、
        権現様江上ル、  大猷院様御代土
        井大炊頭宅江  御成之時被下之、万
        治元戌年九月同遠江守隠居御礼之時
         厳有院様江上ル、
     明和三戌年四月七日御元服御官位御祝義之時、
       浚明院様ゟ 孝恭院様江被進、

    明和3年(1766年)に徳川家基(家治の長男)が元服した際に、父である10代家治より贈られた。

  • 文政11年(1828年)4月家斉の孫・家定が元服した際に、家斉に献上している。

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